大判例

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奈良地方裁判所 昭和35年(む)11号 判決 1960年3月29日

被告人 中島章順

決  定

(申立人氏名略)

右申立人は裁判官忌避申立却下決定に対し準抗告の申立をしたから当裁判所は左の通り決定する。

主文

本件準抗告の申立はこれを棄却する。

理由

本件準抗告申立の理由は

原決定は本件忌避申立が訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明白であるとして却下したのであるが右決定は誤りである。

一、弁護人は本件忌避申立に際しその理由として

(1)  「原裁判所の当該裁判官は本件被告事件捜査の段階において被告人に対する逮捕状の発付、右起訴後における勾留状の発付にそれぞれ関与し右各裁判をなしたものであつて、本件公訴事実につき各その尋問を行つたので予断を懐いているものである。」「従つて憲法の保障する公平な裁判所の迅速な裁判を受け得る被告人の権利が侵害される虞がある」

(2)  次に又当裁判官は本件公訴事実に関連する民事訴訟事件に関与され、民事面から本件公訴事実について予め知識を有せられるものであるから前同様公平な判断が所期されない」ことと述べたのに対し右裁判官は弁護人の本件忌避申立は一応考え得るのでその理由を詳細な書面により提出方を求められた。そうして弁護人は右理由書を作成し提出の準備中であつたところ前記決定が昭和三十四年十二月二日送達されたのである。

若し原裁判所が本件却下決定のような理由による弁護人の忌避申立と判断されるのであれば前記公廷での申立の際、態々理由書の提出方を命ぜられる必要性はないし、右理由書提出を求めておき乍らその余裕さえない翌十二月一日前記理由を以て却下決定をされることは許されないものである。

二、我が新刑事訴訟においては憲法によつて被告人が公平な裁判所で裁判を受ける権利が保障され、これを受けて起訴状一本主義が採用され公判審理を行う裁判官は事案について予断をいだいていてはならないことが要請されている。

ところが本件被告事件審理に当られる梨岡裁判官は前項記載のように民事、刑事両事件から右被告事件に直接関連ある裁判に右公判前に関与せられているのである。

なるほど一人制の裁判所においては逮捕状、勾留状等発付に際し尋問に当つた裁判官が公判審理をもなし得ると認められているようであるがこれはあくまで訴訟関係人が異議のないことを前提としてのものである。そうでなければ憲法の前記保障は法律や命令を以て変改し得ることになり憲法の定めは何等の実効を伴わないこととなるのである。

憲法の前記保障は刑訴法第二〇条第六七号においても明白にしているところで、これを当然の除斥原因としているが同法第二一条はこれ等をも受け更に「又は不公平な裁判のなされる虞」を挙げてこれを拡張している。従つて右除斥原因に関連あるような事実は固よりすべて忌避の原因となり得るべきものと云うべきである。

三、梨岡裁判官は前記勾留尋問をなされた外、本件公訴事実に関連する民事事件の裁判にも当られ刑、民両事件の角度から本件公訴事実について予断をいだかれているから公平な裁判が所期できないのである。

右民事事件とは次のようなものである。

被告人中島が本件公訴事実にある金員騙取の手段として利用したとある山林にすべて昭和三〇年一月一一日被告人が件外吉田与一に対し、負う借用金債務の担保に供し、これに代物弁済契約となしていたので、右件外人は停止条件付所有権移転請求権保全のため、登記、仮処分命令の申請をなし奈良地方裁判所葛城支部昭和三四年(モ)第二一号事件として、係属、同裁判所梨岡裁判官において、右仮処分決定が同年三月一六日になされ更に本件被告事件の被害者とせられている北畑金治は右被害金額金二百十万円を被告人に請求するため被告人所有の不動産等について仮差押命令申請をなし同庁、同年(ヨ)第一四号事件につき、同年六月三日、同年(ヨ)第二七号事件につき、同年十一月五日夫々梨岡裁判官が、各仮差押決定の裁判をせられている(その他北畑金治からも、同様仮登記仮処分命令申請があり同裁判官の決定を受けたと思料されるが、この点明白とならない)これと、各保全処分の裁判は、すべて、本件被告事件の原因であつたり、又、公訴事実の同一事実に基づくものであるから、これらが、梨岡裁判官により裁判せられた以上同裁判官の予断は充分にいだかれているものである。

四、弁護人は、本件被告事件審理の過程において、前記各事実が明白になつたので、同裁判官忌避を申立てた次第で明らかに、訴訟の遅延を目的とするものではなく、むしろ刑事裁判の公正であることの国民からの信頼を保持する根本理念に基づくものである。よつて、弁護人は十一月三十日公廷において、梨岡裁判官自ら本件被告事件の審理を回避せらるべきであるとの意見を具申したが、容れられず、已むなく忌避申立に出たのである。

五、梨岡裁判官の前記予断を有せられることは次の具体的事実となつて現われている。

(1)  同裁判官は被告人に対する昭和三四年九月二五日勾留尋問に当り、約一時間に亘つて、詳細被告人の弁解を聞き、金員を調達して、早期に弁償する方法を採れと述べられて資産状況の聴取があり被告人から同人の財産は一方吉田与一の仮登記仮処分、他方北畑金治の仮差押等で、換価処分の方法がなく又被告人従来の社会的地位は他に弁償資金援助を乞い難い事情にある点までの弁解等を聞かれている。従つて同裁判官は本件被告事件の実体について特に、詳細な取調をされた域に達しておられ(何故なら被害弁償は、審理の最終段階というべきであるから)昭和二十七年最高裁判所判例の趣旨に照し本件忌避の理由は充分に存立する。

(2)  梨岡裁判官が本件被告事件に予断を有せられるので、裁判の公平が期せられないのは、証拠調において、推測し得る。

同裁判官は昭和三四年十一月九日の公判期日において、証人北畑金治の証人尋問においては、被告人審問の機会を与えなかつた。そうして、同日証人奥山末治の尋問に際しては、弁護人の請求によつて、漸く右の機会を与えたけれども、同月三〇日、証人正垣君子、中島智恵子の尋問では、前同様その機会を与えていない。

刑事被告人がすべての証人に対し、審問の機会を与えられることは、憲法の保障するところ、従つて、これをなされない事実は明らかに、公平な裁判とは云い得ないのである。

(3)  梨岡裁判官は検察官の取調請求をなす証人は全部採用し、弁護人請求の証人は一部の採用に止つているのは不公平な裁判をなす虞が明白である。

弁護人は前記十一月九日の公判期日において、証人千早健三郎外四名の取調請求をしたのに対し、前記正垣、中島の両名を採用したにすぎなかつたが、同月三十日検察官は証人として、北畑金治、奥山末治の再尋問、岩井某の取調請求をなしたところ、全員が採用せられている。

右採用の状況を比較するに、明らかに、不公平が看取されるのであつて、検察官申請の岩井某のごときは公訴事実にほとんど関係がないし、北畑、奥山に至つては既に証拠調済みであるものさえ再尋問を認めている。

弁護人申請の千早健三郎は被告人と北畑間の山林売買契約に事前事後とも関与した者爾余の証人もあるいは右山林売買の前提となり、あるいは被告の資産関係(事実発生当時)を証する者であつて本件公訴事実に甚大な関連を有するに拘らず同裁判官は即座に却下決定をしている。証拠調の採否は固より裁判所の決定するところであるが斯かる不公平な審理を以てして事案の真実は発見し得ない。同裁判官が斯様な裁判をせられるのは予断あるがためである。

(4)  梨岡裁判官は公訴事実に関し、弁護人が検察官に求めた釈明に対し検察官のなし得ない部分を自ら補充して審理しているので不公平な裁判をなす虞がある。

本件第一回公判期日の一〇月一九日検察官の起訴状朗読後弁護人は右公訴事実中「山林登記簿上の所有名義が当時被告人にあつたのを奇貨としてとあるが、本件山林の所有名義が被告人である点が公訴事実とどのような関係ありや、各所有名義と所有の事実関係に相違があつたり、あるいは当時本件山林が被告人所有名義であつてはならなかつたとの趣旨であるかどうかの求釈明に検察官が答え得なかつたを同裁判官自らこれを補充して審理に移られた。凡そ裁判官は検察官の明らかにする訴因等に基き審理に当るべきであつて裁判官が検察官に代り釈明補充をすることは刑事訴訟制度上許されないものである。

以上の諸事実が積重ねられた結果弁護人は本件忌避申立に及んだ次第であつて訴訟促進に協力するは弁護人においても分担すべきものであること固より知悉しているので能う限りこれを問擬せず公判手続に服し来つた次第であるが斯くては刑事訴訟の本旨が没却されると確信し、敢えて本件忌避申立を維持しようとして準抗告に及ぶ次第である。

当弁護人の本件申立の理由中前記釈明の点は第一回公判期日のことであり弁護人は爾後の公判期日に請求陳述等をなしているけれども前叙のように積重ねられた各事実により公平な裁判が期せられないことが前記昭和三四年一一月三〇日の証拠調期日において明白となつたし、その他の理由は右期日と相前後して知得されたものであるから刑訴法第二二条但書に該当しないものである。

というのである。

記録を調査するに、申立人は奈良地方裁判所葛城支部に係属する被告人中島章順に対する詐欺被告事件の弁護人であるところ、昭和三十四年十月十九日右被告事件の第一回公判において被告人中島章順は被告事件に対する陳述として事実はその通り借受けたことは間違ありませんが全然詐欺する意思はありませんでした。といい、本件申立人は弁護人として、公訴事実中「当時」とは何時か又「現金百五十万円を受取り借用したのであるが山林の登記簿上の所有名義が被告人にあつたのを奇貨として」とあるがこれはどういう意味かと釈明を求め之に対する検事の釈明があつた後弁護人も亦被告人と同趣旨の意見を陳述し証拠調に入つた。そして昭和三十四年十一月九日第二回公判において検事の請求した証人二名の尋問があり、不出頭の証人吉田与一を再召喚することとし弁護人の請求の証人の中二名を採用し他の三名を却下する旨を決定した。次で昭和三十四年十一月三十日第三回公判において前回請求の証人調を終り検事請求の不出頭の証人を再召喚することとし新なる証人三名を尋問することを決定したが弁護人請求の「任意捜査が強制捜査に切換えられた理由が何であるか」を明らかにする立証趣旨の下に本件起訴及び公判立会の検事嶽順治郎を証人として尋問請求したところ裁判官は検事の意見を聴きこれを却下した。そこで本件申立人は裁判官梨岡時之助は証人の採用が不公平であり且つ公判前の本件事件の勾留裁判官であつて本件について予断を抱くものであり不公平な裁判をする虞があるとの理由で忌避の申立をしたが同裁判官は同年十二月一日附決定を以て右忌避の申立は訴訟を遅延させる目的のみでされたこと明白であるとの理由で却下した。申立人は之に対し大阪高等裁判所へ即時抗告の申立を為し、同裁判所は同年十二月二十一日不適法であるとして即時抗告を棄却した。そこで申立人は更に昭和三十五年二月十七日附の書面を以て本件準抗告の申立書を当裁判所へ提出して来た。よつてこれを葛城支部へ廻付したが梨岡裁判官はこれに意見を付し当裁判所へ送付して来た。そして前記詐欺被告事件は昭和三十五年二月二十二日第四回公判を開き証拠調を続行し、更に同年三月十八日に公判が続行されることになつた。之が本件の経過である。

而して事件について請求又は陳述をした後には、不公平な裁判をする虞があることを理由として裁判官を忌避することはできない。但し忌避の原因があることを知らなかつたとき又は忌避の原因がその後に生じたときは、この限りでないということは刑事訴訟法第二十二条の明定するところである。してみると本件忌避の申立は右法条本文に違反する不適法のものであることは論を待たない。又同法条但し書前段に当るともいえないことその主張自体に照して明白である。そして公平な裁判所の裁判とは偏頗や不公平のおそれのない組織と構成をもつ裁判所の裁判を意味するものであることは幾多の最高裁判所の判例の示すところであつて勾留質問をし、勾留状を発した裁判官や又被告人に対する詐欺事件と社会的事実関係を同じくする民事訴訟事件の仮処分事件を担任した裁判官が前記詐欺被告事件の公判審理をしても、それだけで予断を持つ公平な裁判所でないとはいえない。又弁護人の釈明請求に対し検事が釈明をしていることは記録上明白で裁判官の措置に何等不当の点があつたとは認められない。更に又裁判所は弁護人側の申請にかかる証人のすべてを取調べなければならないものではなく、その立証趣旨から見て不必要なものは却下すべきこと当然であり又弁護人がいる被告事件の公判において証人尋問に際し弁護人が反対尋問している以上被告人自身に反対尋問をさせなくても何等差支なく、このため忌避の原因がその後に生じたとはいえない。訴訟上の権利は誠実にこれを行使し濫用してはならないのであつて、右の経過から見て原裁判官が刑事訴訟法第二十四条に則り本件忌避の申立を却下したのはまことに相当であつて本件準抗告の申立はいずれも理由がないから刑事訴訟法第四百三十二条第四百二十六条第一項に則り之を棄却すべきものとし主文の通り決定する。

(裁判官 辻彦一 森山淳哉 石原寛)

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